他人の幸せを喜べない時

現実のしくみ
この記事は約3分で読めます。

辛い時、他人の幸せがしんどく感じたりすることあります。「自分はこんな現実なのに、なんであの人だけ?」という思いがこみ上げてきたりもします。

他人の幸せにも現実のしくみは働いています。今日は他人の幸せについてをお伝えしますね。

しくみを知れば見方が変わります。

他人の幸せはあなたとは関係ない

あなたの現実が辛いことと、他人が幸せであることは何の関係もありません。

他人の幸せを羨んだり恨んだりしていませんか?どんなに他人の幸せを非難しても自分の現実が変わるわけではありません。

関係ないけど関係ある

とは言っても、気になる他人の幸せですが、その他人の幸せもまたあなたが創り出しています。あなたがそれを見て「幸せそうだ」と思いました。そう、その人が幸せだと決定しているのは自分(あなた)でした。

それは、あなたの中に幸せが存在している証拠となります。あなたの中の幸せであるなら喜んで受け取ればいいのです。

幸せを提示されているのに受け取り拒否をしていませんか?

他人の幸せがウザく感じるとき

例えば先日こんな書き込みを見つけました。

「芸能人の○○のTwitter(ブログ)を見ていると、幸せ自慢に思えてウザい。」

ここには2つ誤りがあります。どこかわかりますか?

  1. 幸せが自分の中にあると気付いていない
  2. 見たくないものにフォーカスしている

何かが気になったり、目についたり耳に入ってきたり、何かの情報があなたに集まってきている時、その何かにフォーカスしているという目印となります。

この場合、「幸せ」と「見たくない現実」にフォーカスしている為このような事が起こっていると言えます。

世界平和を願う人々

世界中の人々が幸せになった方がいいと思いますか?世界が平和になることを望みますか?

これらの答えに殆どの人はYesと答えるでしょう。でも、いざ自分の目の届く身近な人となるとそうもいきません。ましてや、自分があまり好意的に思っていない相手だと尚更です。

その好意的でない隣人も世界中の人々の一員です。レジで横入りしてきた人や、街中で肩のぶつかった人、あなたに嫌な事を言ってくる上司・同僚、その人たちも世界中の人々です。

ことわざに木を見て森を見ずというのがありますが、細部に気を取られ全体が見えていない事を指します。これは、不幸に良く似ていますね。隣人となると嫌な事に目が向きますが、世界となると幸せに目を向けています。

幸せにおいては森(世界)に注目はするけど、木(隣人)には注目していないということになります。

世界平和を願う事は悪いことではありません。ですが、あなたにとってよりリアリティがあるのはどちらでしょうか?

あなたにとってリアリティのある方こそ、あなたの現実に影響しやすいのです。

もちろん世界が平和な時あなたも平和ですが、すぐ近くに目を向けると途端に不愉快になる。おかしいですね。この矛盾に気付きましょう。

世界平和を願う前にまずは周りの人(よりリアリティを感じられる人)の幸せを願い、あなたの内側に存在するその(人々の)幸せを受け取りましょう。

皆が世界平和や地球全員が幸せになることを望んだ時どうなるか

嘘みたいな話ですが、全員が全員の平和や幸せを望めば、そこに不幸は存在できなくなります。

不幸を経験したことがない場合、幸せを感じるのは難しいですが、既に何らかの不幸を見聞きし体験したことがあれば地球全員が幸せになる事も可能です。

誰かを陥れることなく全員が幸せになれるという事実に本当に気づいている人はまだ少ないかも知れません。

他人の幸せを目にした時

他人の幸せを目にした時の正しい対応は、素直に祝福し喜ぶ。そして、幸せが自分の中にある事を感じ、その幸せを次は自分の目の前に現象化させます。

他人の幸せを目にするという事は、自分が願っている事が近づいている合図です。

制限はありません、あなたが幸せになる事を許可してください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました