覚醒するとどうなるのか

現実のしくみ
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今日は少しとりとめもない話をします。

興味のない方は飛ばしてしまってください。人によってはこの手の話は苦手という方もいらっしゃるので、そのような方はまたの機会に。

覚醒する人々

よく、自分で覚醒しているのか、まだなのかわかりませんという声を聞きます。自分でこの道で合っているのかもわからないとか。

私もそうでした。色んな情報を集めて試して、これで本当に合っているの??と不安になったり、答え合わせをしたくなったりしましました。

以前は同じように体験した人を探すのは大変でしたが、今はインターネットの発達により割と簡単に探し出せます。

覚醒するとは

怪しい宗教にハマっている人のように盲目的になるわけではありません。分離した思考であっちとこっち、そっちとこっち、〇〇と××という風に分けて考えません。

全てが一つであると気付きます。

覚醒の入り口

覚醒しよう!と頑張って覚醒した人も居るかも知れませんが、私が知る限りでは「たまたま」の人が多いようです。

でも、そのたまたまは偶然ではなくて必然的に誰もが通る道でもあります。

入り口の多くは「悩み」です。その悩みに対して「なぜ?」という疑問を持って、その何故を解明していくうちに出会ったりします。その先の真理に触れたいと思うようになり入り口を見つけます。

覚醒するとどうなるのか

気付いている意識はありますが、生活などは今まで通り変わりません。ごはんも食べるしテレビドラマも見ます。想像上の仙人のような暮らしになるわけではありません。

喜怒哀楽の感情もちゃんとあります。感情はありますが、私の場合どちらかというと「激しい感情」は薄れたような気がします。

気付いて活動をする人も居ますが、大きな活動をしない人も居ます。

誰かや何かに使命を言い渡されるわけではないので、自分で使命を創り出して実践する人も居ます。

  • ブログで発信する人
  • 動画で配信する人
  • 人を集めて集会を開く人

全てということを知っているので、その全てを良くする為に世界の人々を助けます。どう助けるのかというと、「全てである」ことを教えます。気づきを促します。

多くの人がそれについて語っています。中にはフェイクも混ざっていますが、そのフェイクの中に居たとしても、その時はその人にとってはそれが真実となります。

全てであると理解していない人の多くに見られるのは、自分は特別であるかのようにマウントをとったりという行動言動です。全てである時、上下左右何も関係ないのです。

覚醒したのかわからないのですが?

わからない場合、恐らくまだ覚醒していません。その時にははっきりとわかる分岐点に立ちます。(便宜上)

覚醒する前と後、あなたは何も変わりませんが意識が目覚めます。それを自覚できます。

覚醒したいのですが?

遅かれ早かれ望めば覚醒します。

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