病気と気持ちと潜在意識【体験談】

現実のしくみ
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かつて私自身が体験した病気とその時の私の心境・対応と、周りの反応など。何故そうしたのかと気づきについてお伝えしていきたいと思います。

現実のしくみとしては全て同じ原理なのですが、カテゴリを絞ってお伝えしているのは、そのカテゴリにウエイトを置いて考えている方へ向けて、理解のきっかけとなれば良いなと思っているからです。

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さて、私は以前癌と宣告された経験があります。というか、「癌の私」の時があり、今は「癌だった私」であり「完治した私」です。

癌宣告の瞬間

これをお伝えすることに意味があるのかは定かではないですが、体験談を読みたい方へ向けて書いていきますね!

当時属していた会社では毎年1回健康診断(人間ドック)を受ける事になっていました。(今考えると良い会社ですね(笑))そこから検査結果が自宅に届きます。

届いた検査結果には様々な数値とよくわからない項目がたくさんあります。その数値の横に所見が書かれていて、「要精検」とありました。詳しい内容は書いてありません。何がどう問題なのかはその時点ではわかりません。

ネットで検索しまくりました。その項目と数値、それがその数値であると何が問題なのか、要精検の意味(精密検査が必要ですよってこと以外も含め)。今となって思う事は、検索なんてしてないでさっさと病院に行きなさい!です(笑)

さて、私の体で精密検査が必要な個所は婦人科でした。同封された紹介状を持って婦人科へ行きました。(婦人科へ行く前も行った後もめちゃ検索しまくってました(笑))

婦人科での検査を受け、先生より1~2週間前後で結果が出るので病院に電話をするように言われました。(病院からはお知らせしないシステムらしい?)

会社の仲いい人(当時タバコミュしてた人)に「検査受けたよ~」と軽く伝え最初こそドキドキしていたけれど、検査を受けたこともすっかり忘れて過ごすこと2日。

3日目に突然病院から電話が来ました。「検査結果が早く出たので、なるべく早く病院へ来て欲しい」との内容、優しい女性の声に「それは、どういった結果です?」と聞き返したけれど、「結果は先生からお伝えしますね」と、当然の返答でした。

そして、また検索をしまくる(笑)「検査後 3日 連絡」とか「子宮癌 検査 結果 早く出た」とか「要精検 病院から 電話」とか(((笑)))だから、検索してないで早く病院へ…

いざ、病院で検査結果を!

先生より図を書きながらの説明でした

先生「癌ですね」

天宮「癌ですか!?」

先生「聞き返さないで!(怒)」

天宮「ひぇ・・・」

先生「程度はここでは正確にわからないのでもう少し大きな病院で検査…手術になります。紹介状を書きます。」

ここで、良く言われるステージについての説明と、通常のステージと子宮癌のステージでは異なることの説明?先生の予想する私のステージなどを受けましたが、今は良く覚えていません。とにかく早く大きな病院へ行くようにと言われました。

これが、私が癌宣告された瞬間のお話。

ポイント

この段階で、検索して自分が何を知りたかったのか。それは「自分が癌である証拠」ということがわかります。もし、癌でない確信を持っていて、癌ではない自分であれば証拠を探す必要もないということ。仮に“癌ではない証拠“を探そうとする時、そのスタート地点は「癌である」となります。癌だから癌じゃない証拠が必要だということです。

宣告直後は流石に動揺して、泣いたりもしました!それは普通の反応だと思います!

周りの反応に耐えられそうもない私

自分が癌であるということを公にすることについて、とても勇気のいる事だと思いますし、同時に色んな重圧を覚悟する瞬間だとも思います。

ちょうど同時期に同業者の女性も同じ病気になっていました。その方は同僚はじめ家族や友人に広く言ったそうです。

まずは、自分自身が落ち着く為にタバコ仲間の会社の同僚に打ち明けました。その方はご家族を癌でなくされており、その告白に少なからず耐性がありそうだと思ったからです。

次に兄に打ち明けました。家族の中で一番冷静だからです。他の姉妹兄弟や親には言わないで欲しいと頼みました。

それから、支店長、入院や色んな手続きが必要なため内勤者。そして子供たち。

ほんの数名にだけその事実を打ち明けました。

本来であれば優先度の高そうな気もしますが、これから手術や治療をしていく中で私が癌であるという事実に最も縛られてしまいそうだったから、親には言いませんでした。

きっと、知れば親は当然私の事を“癌である娘“として扱うし、そういう目で見られるだろうと思いました。それに私は耐えられないだろうと思いました。また、その状況に陥った時、自分が癌であるという思いが固定されてしまうのがとても怖かったし、それに対応できるだけの色んな余裕がありませんでした。

少しして、母親に告白したら案の定「癌になったら読む本」?のようなものを郵送で送りつけてきました。やっぱりな・・・と思って即送り返しました(笑)

(人はとことん思った通りの世界に生きているって事ですね!)

長年子供をしていると親との付き合い方も心得ています。全ての段取りが整ってから告白したことは正解だったと思っています。

同僚

同僚にも言いませんでした。手術で入院する時でさえ言いませんでした。「大丈夫?」と聞かれるのも嫌でしたし、色んな事を根掘り葉掘り聞かれるのも嫌でした。

親と同様に、「癌の人」とか「可哀相」なんて目で見られるのも嫌だし、そうとれるような言葉をかけられるのも嫌でした。おしゃべりな同僚に話せば、スピーカーな同僚の口からどんどん話が広がっていって、尾ひれもついて面倒くさいことになる。

とにかく、私は自分が癌であるという事を認めたくなかったし、認めていたとしても完治する気でいたので、その邪魔になるようなものは作りたくなかったのです。

自分で処理できそうもない状況にしない為の私なりの工夫?でした。

慎重かつ軽快に子供たちへの告白

当時子供たちはまだ小学生・中学生くらいの多感な時期で、私の病気のせいで子供たちの人生を変えてしまわないようにと考えていました。母子家庭ということもあり告白は慎重にとも思いました。

私が深刻になれば子供も深刻になることはわかり切ったことでしたので、まずは自分が「大丈夫な自分」を選択する必要がありました。完治するという自信や確信を持つことが重要だと思いました。

ポイント

いきなり「完治する!」と思うのが難しい時には、徐々に…「もしかしたら治るかも知れない」「誤診かもしれない」「勝手にできたんだから勝手に消えるのもありだろう」と現実感を薄めていきます。最終的には「癌は消えてもおかしくない」「もしかしたら、本当はもうないのかも知れない」という気持ちで日々を過ごしていました。

子供への告白については、主治医の女医さんにも相談してみました。言った方がいいのか、言わない方がいいのか。

女医さんは、隠している事がバレるより、きちんと話す方がいい。隠しても子供は気づくだろう。といった内容のアドバイスをくれたので、決心はつきました。

「はい、集合~!お知らせがあります!お母さんは癌になりました!治すために手術をしたり治療をしたりします。二人とも協力お願いします!」

きょとんとした顔を覚えています(笑)私の希望通り、誰も泣くこともなく、うろたえることもなく…。

ただ、実際に子供たちがどう感じたのかはわかりません。下の子は特に敏感な子なので心配したかも知れません。だから慎重に…。

感情は伝染します。子供なら尚更。

ポイント

大丈夫な自分という潜在意識を活用しつつ、治療や周りへの告白という現実的な対処をしていくことは好都合な結果を得るには効果の高い方法でした。目に見える事と見えない事どちらか一方に偏っていないので抵抗が和らぎ、望む現実を自然と受け入れやすくなりました。両方の意識で相乗効果を生み、自分にとって良い結果が得られやすくなるということです。

完璧な状況

言いたい人に言い、言いたくない人に言わず、治療や手術準備に専念できる状況を作り上げた私は仕事中に病院へ通い血を抜いて自己血貯血をはじめていました。

本来であれば落ち込んだり、絶望したりしてもおかしくない状況ですが、何故かある側面ではわくわくしていました。(不謹慎かも知れませんが…)

そこには色んな思いがありました。

  • 期待…本当に思考は現実になるのかを身をもって体感できるかもしれない
  • 興味…初体験に対する思い
  • 興奮…経験したことのないことだらけの発見

病気という一見不都合に見える状況ですが、私には私にしか得られない不完全から完全を得るというメリットもありました。

ポイント

自分がどんな状況であろうとその状況を楽しむ、そして望む現実を選択する。不都合⇒好都合(初体験できるなど)、不完全⇒完全(自分の思ったような状況を創り出す)というように、現実はいつでも自作自演で展開されていることがわかります。

期待

潜在意識や思考は現実になる、スピリチュアルとんでも話などを必死に探究していた私にとって、この大きなイベントは「ほら、やっぱりね」を体感するのには十分すぎる出来事ではありました。

告知から取り乱した1~2日を過ぎた後は、まぁなんとかなるでしょう!という気持ちで、ひたすら自分自身を癒す事に専念していました。

イメージングで自分自身の細胞を修復したり、心地いい音楽を聴いたり、せせらぎ音を聞きながら全身をクリーニングしてみたり。

一連の行動の中で「ほら、やっぱりね」を得られる期待をしていました。

興味・興奮

もともと私は好奇心旺盛な方で、未経験だからというのが理由として成立してしまうので、大抵の事は受け入れる事が多かったです。状況や人間関係や色んな事においてです。

じゃあ、と考えた時、それらの事とこの事と何が違うのか?と思ってしまったのです。

今行っている検査や手術に向けた準備を含め手術そのものも、臓器を取ることも全ては未経験なことです。どうなんだろう…?と興味を持って行う事となりました。

CTやレントゲン、MRI、PET検査全部初めてのことです。頻繁な採血も良く観察するとちょっと面白い。そうやって検査や準備を楽しんでいました。

楽しみながらも癌が小さくなって消える事をイメージしながら日々を過ごしていました。

病状

当時の病状としては最初の検査の時より(思ったより)進行していてすぐに手術が必要と言われましたが、どの程度かは開けてみないとわからないというなんとも曖昧な回答でした。

結果、リンパまで転移していたようですが…

まとめ(現実を固定するということ)

今回は病気と潜在意識について、手術前までの簡単な出来事と私の思考と現実の関係について書いています。読んで頂ければわかるように、現実は私に何もしていません。私が現実に色んな思いを抱きアプローチしているだけだということがわかります。

人はどの場面においても必ず〇〇という現実という風に現実を固定して生きています。そうしなければ生きていけないからです。地面が固い、空気がある、空から何も落ちてこない、 蛇口をひねれば水がでてくる、 心臓が動いている、 いきなり血は噴出さない、死なない…とか、無意識に現実を意識して確信して生きています。

1次的に無意識に確信している事と2次的に意識して確信していることがあります。私が癌だと告白しなかった(できなかった)のは2次的なそれで、その現実を固定してしまうのが怖かったからです。

でも、本当は、現実なんて固定されるものは何もなくてゆらゆらしています。あなたや私が意味を付けて確信した時点で現実が確定します。(でも、この考えすらも選択しなければ揺らいでいます)~であるべきとか、~でなければならないというのは嘘です。

もっと軽やかに現実を選択していってもいいんだと私は思っています。あなただってそうです。

その他の事

この話は5年以上前の話で現在は完治しています。全体の一部を切り取ったお話ですので需要があればこれにまつわる他の体験談(手術や術後)も書こうと思います。例えば、入院費や手術費などのお金の話とか?

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