どういう事??
鏡の法則ともいわれることがあります。
現実とは意識である
私があなたである、或いはあなたは私であるとはどういう事でしょうか。
現実はあなたの内面を映す鏡であるという事を耳にされた事があるでしょうか、そのこととも関係しています。
私たちの目の前に広がっている全ての物は自分の頭の中から湧き出ています。頭という表現がわかりにくければ、自分の意識から広がっていると言い換えられます。
内面で作られ、意識したと同時に現実に反映されます。それを確信して固定します。
現実とは、あなたが意識して確信をもって認識したものということです。その証拠に、あなたが意識しないもの意識できないものはあなたの世界には存在できません。
他人も創り出している
外側にいる他人に見えるその人もまた自分で創り出しています。本当にリアルに見えますが、全て自分の頭の中にあるものです。
意識しないもの、できないものはあなたの世界には存在できません。あなたが意識したもの、つまり存在を許可されたものがあなたの世界に存在しています。
あなたの目の前に居る他人もあなたに存在を許可された人々というわけです。
私が全てを創り出していて、あなたもまた全てを創り出しています。
あなたが目にするもの、感じるもの全てはあなたの意識が作り出したものです。そして、そこにあると確信したものです。
今、この記事を読んで頂いているあなたからすると、私という存在やこの記事はあなたが創り出したものだとも言えます。
私を創ったのがあなただったら、私はあなたの頭の中にしか存在していません。
全てがベストなタイミングで現れています。あなたが必要とするものが今目の前にあるということです。
他人を見れば自分の内面がわかる
現実は、あなたが何を考えているのかを表しています。 目の前に大嫌いなあの人が居るなら、それも又あなたの分身です。
その人を通してあなたが抱く感情を観察してみてください。そこにはあなたの本心が隠れています。
例えば、あなたの現実に嫌いな誰かが居るとして、その人のどこが嫌いなのか見てみてください。きっと、あなたはその嫌いな人の嫌いな部分を持っていることでしょう。自分自身の持つ嫌いな部分をあなたにお知らせするためにその人は存在しているというわけです。
逆に、あなたの好きな人の好きな部分を見てみてください。その人の好きな部分は自分の好きな部分と同じなはずです。
仕事ができない同僚を嫌う時、あなたは仕事ができない事は悪い事だと思っているという事がわかります。嘘のような話ですが、そこに意識を向けなければ仕事ができない同僚は存在できません。
あなたが私であるとき、もし仮にあなたが私に対してネガティブな意識を注いだとしたら、それは、私を通して自分自身にネガティブな意識を注いでいることになります。
あなたの世界の住人である誰に対しても同じことです。
自分の頭の中で考えている人は、自分しか居ないということです。
私はあなたです
現実は、スカッシュと同じように、打った球はそのまま返ってくるというシステムになっています。
あなたがもし、あなたの世界の住人にポジティブな愛を送り続ければ、世界もあなたにポジティブな愛を返してくれます。
誰かと顔を合わせた時笑顔でおはようと声をかければ、そのように返ってきます。ありがとうと想い、伝えれば、あなたにもありがとうがどんどん届くようになります。
私は、この「愛」という言葉がむず痒く何となく受け入れられない時期がありました。
でも、後にわかった事は、テレビドラマや漫画で扱われている「愛」は、本質的な「愛」とは違うのだという事です。
愛は、恥ずかしい言葉ではなく、愛=ALL という意味でした。 今、この私という存在を通して、あなたが、あなたの内面に触れた事により、愛ということの本質にいくらか近づいたと言えます。
これが、私があなたであり、あなたが私であるという事です。
今これを読んでピンとこないのなら、そのタイミングではないというだけの話で、後にあなたはこのことの意味を深く理解する時が必ずきますのでご安心を。
しばらく経った後にこの記事を再度読んでみてください。今の感情とは違ったものが得られると思います。
コメント