留まることは出来ません

現実のしくみ
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この感覚、この感情、この状態がずっと続けばいいのにと思ったことはないですか?

人は何か自分にとって好都合な体験をした時にそのように思うようです。

どのようなタイトルがふさわしいのか迷いましたが、今のところこれを端的に伝えるにはこれしか思い浮かびませんでした。

答えを探している人にのみ表示されるようになっています。

人は忘れ去る生き物です。

過去のどんな出来事の感情も維持できません。記憶として残っているだけです。その記憶すら本物かどうか疑わしい。

痛み、苦しみ、楽しかった事、嬉しかった事、経験というデータとして記憶に残りますが、感情は維持できません。感情をデータとしてなら記憶できますが、感情そのものを保持できません。

素晴らしい日々を過ごしていてもそれが素晴らしい事であるというのも忘れてしまう。

自分に回帰できたとしても、しばらく経てば忘れてしまいます。

表面上は常に変化し続ける仕組みになっています。忘れるということは変化するということと同じことなのです。

悟り続けるのは難しい

一瞥体験が表しているように、一瞬で通り過ぎるもので、そこにとどまる事はできません。どんな偉人であっても、語り継がれている哲学者であっても、みなそこにとどまる事はできないです。

一度垣間見た正解と思えるようなそこ(こと、もの、場所)へ記憶を頼りに何度もそちらへと向かおうとします。

「堂入り」と呼ばれる過酷な修行を行った僧侶であっても同じです。そこにとどまることは出来ません。

その状態を維持し続けたいという思いを抱き続けるのは可能ですが、その状態を維持し続けることはできません。

悟った人はその時の記憶だけを保持し、その事についてを語ります。悟り続けるというのは難しい事であり、その状態を維持することに意味はありません。(他の全ての事と同様、あなたがそのことに意味を持たせれば、意味は存在します。)万物は常に変化し続けています。

ひとつのもの(ワンネス)

全ての事はただそこにあるだけです。そのあるだけのものに各々が勝手に意味付けをします。最初は何の意味もありません。良いとか悪いとか、あれとこれ、それとどれも分ける事が出来ません。全てはひとつのものから出来ています。そのひとつのものの中に全てが内包されています。

それが、意識であり宇宙であり、愛でありあなた自身であり私自身です。

それだけが普遍であり不変のものです。

そのままで

留まる事ができないということに悲観的になる必要はありません。

そのままで良いのです。

あなたがあなたであることを受け入れ、あなたが世界に放つもの(と同じもの)を受け取るということを忘れないでいると、今より少しだけ生きやすくなるかも知れません。

全てを認める・受け入れる(認められない・受け入れられないことすらも全て)ありのままをそのままに。

留まる事が出来ない事を理解したその先には、その場所で一歩も動いていなかった事に気付く事でしょう。

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